甲本ヒロトが好きな渋谷すばると私のことを
THE BLUE HEARTSのことを好きなだけ語らせてほしい。
THE BLUE HEARTSのことが好きなだけなんだ。
なんせ最近になって関ジャニ∞の魅力を知った人間の言うことなので、「あ~、なるほど。すばるくんが好きだから、すばるくんの好きなアーティストとか知りたくなるし好きになりたくなるよね~~わかるわかる~~^^」と、思われること間違いなしだが違うんだ。
私がオタクへと化す以前の、唯一保持している記憶がTHE BLUE HEARTSだと言えば伝わるだろうか。
(参照:つづ井氏の『オタクになる以前の記憶が失われる』という仮説)
かれこれ小学生の頃から、私はTHE BLUE HEARTSのことが好きだ。
オタクになる前=紀元前という認識なんですが、私という歴史の中ではキリストが生きていた時分からTHE BLUE HEARTSのことが好きだった。
歳の離れた兄が最初にTHE BLUE HEARTSを好きになり、毎日部屋から聴こえてくる彼らの音楽に惹きつけられたのが始まり。
歌詞の意味は分からなくても、アップテンポで心地良いギターサウンドにウキウキ踊っていたくらい、猿の時代からマーシーのギターが好きだった。
国語の勉強ができるようになってからよくよく聴けば、なるほど歌詞がとても深い。深くて難しいことを歌っていたのかと思えば、ふとした瞬間に「そうか、そういうことなのか」と腑に落ちることがあった。
『どぶねずみみたいに 美しくなりたい』(/リンダ リンダ)
という冒頭一発目の歌詞には、当時心底驚いた。
なんちゅう言葉を生み出すのかと感動した。どれだけこの人は繊細で脆く、そして聡明な人なのかと思った。
子どものハマるものには興味を示さず、口も挟まない母もTHE BLUE HEARTSは認めていた。下品なものを心底嫌う公務員勤めの母が、「きっとこの人は『自分はどぶねずみよりも醜い』と感じているんやろうね」としみじみ語った時は、まあまあの衝撃だった。
私という人間性の基盤は、確実にTHE BLUE HEARTSであり、甲本ヒロトとマーシーの生み出す言葉だった。
時には月の中の爆撃機に乗っていたし、ナイフを持って立っていたし、夜の金網をくぐり抜けたこともあったし、すでごまになったこともあった。
辛くて悲しい帰り道に「もう泣かないで」(/君のため)と抱きしめられて泣いたこともあったし、人生の大一番で「未来は僕らの手の中」と鼓舞されたこともあった。
それから十数年を経て、私は渋谷すばるという仲間を見つけた。
渋谷すばるという存在は以前から知っていたし、なんならTHE BLUE HEARTSの界隈で「ジャニーズアイドルでヒロトの熱烈なファンがいる」と聞いていた。
「なるほど、渋谷すばるという人もTHE BLUE HEARTSが好きなのか」という印象づけられれば、それ以降彼が出演するテレビ番組はなんとなく目を向けていた。
たまたまつけていた歌番組に渋谷すばるが出ていれば見る、程度の認識だった。
しかし2010年前後の彼は、まさにパンクロックを前面に押し出したようなスタイルでいささか驚いた。「そこまで好きか」「ジャニーズアイドルとしてはセーフなのか」と、若干ひいていた。
そして、なにより彼の歌い方に心底驚いた。
ジャニーズじゃないわ~!これ完全に甲本ヒロトのDNAを引き継いでいるやんけ~!!!!
という、そんな歌い方だった。発声の仕方はもちろん、歌う姿も一切飾らないし気取らない。パンクロックのスタイルとしては100点満点だったとしても、アイドルという立場でそこまでやるのは彼自身大丈夫なのか????丸坊主でひげ面だけどいいんですか??????????
と、初めて見つけたときはビビりまくった。本当に「熱烈なファン」じゃねーかと思った。それはともかくとして、彼のあやふやな生き方が見ていてハラハラさせられた。一本綱の上を渡り歩きながらテレビに出ているような、今にも爆発してしまいそうな激情がテレビカメラから滲んでいて怖かった。
パンクロックの遺伝子を受け継いだのなら、確かにそんじょそこらにいるようなアイドルとは違うよな…。と納得はしつつ、でも彼は私と同じ「THE BLUE HEARTSのDNA」を持っているのだと思えたら妙な親近感があった。
あなたも、ナイフやピストルをつきつけられても「くそったれ」と言ったことがあるのだろうか。
そこから月日は流れて、2017年5月2日。
NHK「歌謡チャリティーコンサート」に渋谷すばるが出演した。
忌野清志郎の名曲『スローバラード』をひっさげて。
この時点ではまだ、職場の先輩からジャム魂へのお誘いはなかったので、まだ私は関ジャニ∞の沼へダイブしていない。たまたま夕食中につけていたテレビに彼が現れ、「あれ、珍しい~」と気が付いただけだった。
甲本ヒロトと仲良しだった清志郎ちゃんの、今なお歌い継がれる「スローバラード」。
それをTHE BLUE HEARTSのDNAをもつ渋谷すばるが歌うことは少し特別だった。母も清志郎ちゃんの生み出す世界観のファンだったため、いつもよりテレビの音を大きくさせた。
バックにはフルオーケストラ。
彼は身一つのマイク一本で熱唱した。
彼が歌い終わり、拍手が巻き起こるまで、私の息は止まっていた。
母は「すごいやん!」と、テレビと一緒に拍手して絶賛していた。「この人、ジャニーズやで」と伝えると、「あらー!!?」と驚いていた。
この人は、一体なにがあったのか。
ここまで化けるのか。
たった数年で、ここまで進化するのか。
渋谷すばるという、彼自身の力がほとばしっている。完成されている。
そんな圧倒的な歌のパワーになぎ倒された私は、なんのご縁かその2ヶ月後に彼に直接ドーム内で会うことができた。
実は私は、THE BLUE HEARTSのライブに行けたことがない。
今でも彼らはクロマニョンズとして活動しているが、そのライブも行っていない。
THE BLUE HEARTSが骨に染みている私は、クロマニョンズの楽曲をほとんど知らない。
私は「THE BLUE HEARTSの甲本ヒロト」が見たかったのだ。
しかし、そんなことを言っても彼らはとっくの大昔に解散しているし、二度と会うことはない。
私という人間の基盤を作り出した音楽に、永遠に会えないことは言葉にしがたい寂しさがあるが、それはもう私自身でどうすることもできないので後悔はしていない。
そんな私のひとりよがりな想いは、渋谷すばるのブルースハープによって成仏された。
彼のブルースハープを始めたきっかけは、横山さんのトランペットだったとのちに知ったが、ブルースハープは甲本ヒロトの武器でもあった。
時に寂しく泣いているような音や、抑えられない感情を代わりに言葉にしてくれるような音で奏でる甲本ヒロトのブルースハープが好きだった。でもそれは永遠に聴くことはないだろう。THE BLUE HEARTSはもういない。THE BLUE HEARTSの甲本ヒロトはどこにもいない。
そうやって成仏できず、現世でグツグツいじけていた私にとって、渋谷すばるのブルースハープは天啓を意味した。
渋谷すばるという彼自身だけを純粋に愛しているファンからすれば、私の想いなんて不純であり無粋であり、不毛に違いないだろう。
私も渋谷すばるが好きだと言ったら、大勢のファンに怒られるだろう。
けれども、「私が私自身であること」=「THE BLUE HEARTSの音楽」ならば、彼の血にもTHE BLUE HEARTSの音楽が流れているはずなのだ。大衆が愛する渋谷すばるを形成しているものの中には、確実に私の愛したTHE BLUE HEARTSが含まれているのだ。
早い話、若い頃に恋をした相手方の孫を見守るような気持ちだ。
「あぁ、目は彼女によく似ているね…」と、慈しむ気持ちでその子の頭をなでてやるジジイの気持ちなのだ。
だからTHE BLUE HEARTSに求めるものを渋谷すばるに求めることは絶対にしないし、渋谷すばるは渋谷すばるなのだ。
幼かった私の気持ちや、思い出たち。それらはもう戻ってこないけれども、今もこうやって誰かの血となり肉となって生きている。ただ、それだけでいい。THE BLUE HEARTSは死んでいない。渋谷すばるを形成する要素に、THE BLUE HEARTSはほんのごく一部だとしても、彼らの亡霊である私はそれでいい。もう何もいらない。
THE BLUE HEARTSいいよね。
THE BLUE HEARTS最高やんな。
そんな報われなかった私の想いが、ただ「渋谷すばる」が生きているというだけで肯定されている。
渋谷すばるの中に流れる、ほんの少しの血を思って。
今日も、彼の歌う姿が誇らしい。